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2005年 03月 16日
<台湾>反国家分裂法を非難 陳総統が初めて見解示す
陳水扁総統、大人ですね。 「海峡両岸(中台)は対話を通して相違を埋めるべきであり、『非民主、非平和』的な方法はいかなる口実をもうけようとも、国際社会は容認できない」 と、「非平和的・非民主的」手法に対する国際世論の批判を期待しておられます。100万人デモの是非はともかく、今時「非平和的・非民主的」手法を堂々と宣言するのは、どう考えても賢くないです。 データベース 「世界と日本」(東京大学東洋文化研究所田中明彦研究室)によると、1972年の日中国交正常化に際しての記録が種々公開されています。当時の田中首相や大平外相の首脳会談後の記者会見など、中国側の周恩来総理も含め、今読んでも大人の対応だ、と思います。本来、日本が戦争により領有していた「台湾」は、 「カイロ宣言において,台湾は中国に返還されることがうたわれ,これを受けたポツダム宣言,この宣言の第8項には,カイロ宣言の条項は履行されるべしとうたわれておりますが,このポツダム宣言をわが国が承諾した経緯に照らせば,政府がポツダム宣言に基づく立場を堅持するということは当然のことであります。」(大平外相1972/9/29) と言うことで、「正常な状態に戻した」と言うことになるわけです。それが、「台湾は中国の一部である」という根拠なのでしょう。ただ、だからといって「非平和的・非民主的」な手段が選択されることが容認できるわけではないと思います。 また、このときの共同宣言では、第5項に「中華人民共和国政府の賠償放棄」がうたわれています。この見返り、と言うわけではないでしょうが、中国の発展のため、ODAなどで協力している、と言うことになります。 台湾は台湾で「日本の降伏を受理した政府であり1952年のサンフランシスコ条約で日本との国交を回復した」という思いがあり、当時の日中国交「正常化」は言語道断、なのでしょう。このように複雑に絡み合った状況の中で、どこまで遡れば良いのか、戦後60年を迎えようと言うのに、未だに中国・台湾が「戦勝国」としての態度をとり続けて良いのか、様々な疑問がわき起こってきます。そろそろ、「歴史」として学ぶべき時期が来ていると思います。 田中首相記者会見(1972/9/30)の最後の言葉が印象的でした。 「両国には長い歴史がある。日本が戦争したということで大変めいわくをかけたが,中国が日本を攻めてきたことはないかと研究してみたら,実際にあつた。3万人くらいが南シナ海から押し渡つてきた。しかし台風にあつて(笑い)日本に至らず,本土に帰つたのは4,500人であつた,とこう書物は教えている。(笑い)また,クビライの元寇というのがあつた。日中間にはいろいろなことがあつた。過去というよりも,みんな新しいスタートに一点をしぼろう,ということだつた。」
by f16fightingfalcon
| 2005-03-16 21:37
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