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2005年 06月 20日
<尼崎脱線事故>55日ぶり運転再開 JR宝塚〜尼崎間
55日ぶり運転再開 脱線事故のJR福知山線 55日ぶりの運転再開、ATSの整備や事故前より余裕のあるダイヤに変更することによって、なんとか再開にこぎつけた感がありますが、まだ原因の究明や、被害に遭われた方々への対応など、終わった訳ではありません。また、改めて被害に遭われた方へのお見舞いを申し上げたいと思います。 手元に、ずいぶん昔に読んだJRの光と影(立山学、岩波新書)があります。帯には「JRの2年間を検証する-相次ぐ事故の裏に何があるのか」と書かれていますが、「2年間」という通り、1989年2月20日発行となっています。この本の第VI章が「安全確保はなされているか」というテーマになっており、国鉄末期〜JR化後に起きた事故とその原因について語られています。ここではいくつかの重大事故が取り上げられています。 例えば、「山陰本線余部橋梁空の回送列車墜落事故(1986年12月28日)」があり、強風に煽られて鉄橋から列車が墜落し、下にあったカニ加工工場で作業をされていた方々5名と車掌1名がお亡くなりになった事故です。この原因が「信号無視」にあり、強風で列車を止めるべきところ無視して鉄橋に侵入してしまったことにより風に煽られ転落したようです。もう一つの原因として、この地域の地形に起因する気象の特殊性から、最寄りの駅に置いていた橋梁通過の安全管理を担当する係員を合理化により駅自体が無人化されてしまい、局所的な気象に関する情報が得られなくなったことがあげられます。既に1978年に東京の地下鉄の荒川橋梁で強風に煽られて横転する類似事故が発生していたにもかかわらず、ここから何も得られず、再発が防止できなかったようです。このような住民にまで死者を出すような重大事故を起こしていたにもかかわらず、その3ヶ月後、国鉄最後の日である1987年3月31日には、当時の総裁室長であった井出正敬氏(現JR西日本取締役相談役)が「3月31日24時現在事故の報告なし」と公文書を作成し、事故もなく有終の美を飾り、スムーズに新会社に引き継いだ、と述べられています。 このほか、同様な自然の力を軽視した結果起こったような事故が続き、1988年8月29日東北本線貨物列車、10月15日上越線貨物列車とJR化後も続きます。特に東北本線の場合は余部橋梁と同様、「列車運行を停止すべき」状況の大雨が降っていたにもかかわらず「効率・運行第一主義」で強行に列車を走らせた結果です。これらについては、事故後、原因の一つとして「JRの企業体質」が問題にされています。さらには、この時代から中央線や片町線(学研都市線)など、収益を上げる路線として育成しており、駅員の削減、過密ダイヤによる速達化などが始まり、乗客を引きずったまま列車を走らせたり、追突事故(1988年12月5日、中央線東中野、死者2名)も起こしています。 16年も前に書かれた本に指摘されていた事項が、全く忘れ去られているのでしょうか。今回の事故で、民営化の問題や、現在の年齢構成の問題なども指摘されているようですが、国鉄から変わった直後の体制でも全く同じと言って良いほどの問題が起こっています。事故のたびに、「安全を最優先する企業体質」に変えて行くことを約束されているはずです。にもかかわらず、同じ過ちを繰り返しています。企業としての収益と、安全性は両立し得ないものかと、考えてしまいます。今度こそ、同じ過ちを犯さない企業になってもらえるものと信じて、運転再開を見届けたいと思いました。
by f16fightingfalcon
| 2005-06-20 00:00
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